松本晶恵
(37) マツモト アキエ生年月日 | 1987/06/03 |
支部 | 群馬 |
身長 | 154cm |
出身地 | 群馬県 |
体重 | 44kg |
登録期 | 98期 |
血液型 | A型 |
級別 | A2級 |
松本晶恵の期別成績
2023/11/01-2024/04/30勝率 | 6.02 | 能力 | 52 |
優出 | 2回 | 優勝 | 0回 |
1着 | 16.2%(19回) | 2着 | 27.4%(32回) |
3着 | 22.2%(26回) | 4着 | 12.0%(14回) |
5着 | 8.5%(10回) | 6着 | 12.8%(15回) |
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松本晶恵の出場予定
松本晶恵について
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松本晶恵という女子競艇選手(ボートレーサー)について
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松本晶恵競艇選手のボートレーサーとしての人生について
松本晶恵選手がボートレーサーになった「きっかけ」
松本晶恵選手がボートレーサーになった「きっかけ」は、競艇ボートレース屈指の人気漫画「モンキーターン」でも紹介したように、高校時代に漫画のモンキーターンを読んだこと。
1996年〜2005年まで「週刊少年サンデー」で連載していた人気漫画で、その影響力(他にも沢山の現役ボートレーサーの人生を変えた)がどれどどのものだったかは、コチラを参考にしてもらいたいのだが、松本晶恵選手の場合、中学生の頃に姉が持っていた「モンキーターン」の漫画を借りて読んだところ、ハマったそうだ。
そしてその漫画を借りた姉から「向いてるんじゃないかー?」と言われて、鵜呑みにしてボートレーサーを目指したというエピソードがある。
「向いている」の一言で決断したのは驚きだ。
普通に最初は大学に進学するつもりだったが、高校生活は前述の剣道部が弱小部だったこともあり、モヤモヤと気が晴れることなく悩みも多かったそうで、そんな時、テレビで日高逸子選手(多くの女子レーサーが影響を受けている)の特集をやっていたのもあって、興味を持つに至ったとか。(このパターン多いw)
父親は心配していたそうだが、「やりたいなら、やったらどうだ」と後押ししてくてたそうだ。
母親からははずっと心配したそうで、何度もやめてほしいと言われ続けていたとのこと。
そんな母からも、娘の真剣に取り組む姿勢を見て養成所卒業する頃には「応援するから」と言ってもらえるようになったそうだが、母の心配が的中し、後に大事故を起こしている。松本晶恵選手がプロの競艇選手になるまで
松本晶恵選手は3回目の受験でやまと競艇学校に合格した。高校を中退して入学した。
ちなみに視力が悪く、再度両親から「本当になるの?」と聞かれたそうだが、両親にムリ言って視力回復のレーザー手術を受け、何がなんでも競艇選手になろうとしたそうで、そこまでやったらなりたい気持ちを貫き、今現在の松本晶恵選手がいるということだ。
やまと競艇学校時代は、リーグ戦勝率3.93の成績だった。
勝率は悪く、さらには準優出以上ナシ。
かなり悪い成績で落ちこぼれだったという。
養成所は厳しいことで有名だが、模擬レースで周回誤認してしまい、罰として次の日に50キロ以上走ったこともあったそうだ。
しかし何とか無事に卒業することができた。松本晶恵選手の競艇プロデビュー
松本晶恵選手がプロのボートレーサーとしてデビューしたのは、2006年5月10日、桐生競艇場でデビューした。
群馬支部の地元水面が桐生である。松本晶恵競艇選手の大怪我
松本晶恵選手がデビュー間もない頃、練習中の大事故を起こしてしまった。
頭部を打撲し、脳液が鼻水のように流れ出る脳座礁の大ケガを負い、頭蓋骨を割って脳を置き換えるという、とんでもなく超大手術が行われた。
そんな大手術によって蘇ったのは、もう「奇跡的な運命」としか言えないだろう。
当然、事故から復活した当初は恐怖感からボートにも乗れなかったようだ。(普通、安全面を考えても引退してもおかしくないだろ)
しかし自分には”競艇しかない”と強く思っていたこともあって、人よりも2倍3倍とボートに乗って練習した結果、克服して今現在に至っているわけだ。 -
松本晶恵競艇選手の成績について
2022年4月時点の成績(参考まで)
●現在勝率
6.47 ※2022年前期適用勝率
●昨年2021年の優勝歴と優出回数
・優勝0回(優出8回)
2021年の優勝はないが、年末のクイーンズクライマックスシリーズでは優勝戦1号艇になるなど、優勝まであと一歩の所まではきていた(結果は2着)
ただ、6年連続で出場していたクイーンズクライマックス出場を逃したのは痛かった。
「思うようなレースができなかったので悩んだ時期もあった」とある通り、2021年は松本にとって試練の一年だった。
しかし過去には2015年後期適用勝率に自身初の7点オーバーとなる、勝率7.05(2連対率58.7%・3連対率71.75%)の好成績を残しているし、そこからA1級の常連選手として女子トップレーサーとして活躍している事は間違いない。松本晶恵選手の、これまでの実績
★優勝 20回 ※2022年3月終了時点
★一番大きな大会での優勝
2016年12月「プレミアムG1・クイーンズクライマックス」で優勝
2018年12月「プレミアムG1・クイーンズクライマックス」で優勝
⇒優勝賞金:1000万円
2016年にクイーンズクライマックスで見事に優勝し、女子ボートレーサーの頂点に立った。
そしてその2年後、再度頂点に立つこととなった。
デビューから13年という早いペースで2度のG1タイトルで優勝したのは、彼女の努力と実力があらわれたということであろう。
ただ2度のクイーンズクライマックス制覇はともに平和島だったことで、「平和島だけ(笑)」と本人は言っており、平和島との相性が良いようだ。
★獲得賞金2021年賞金は、29,358,739円 ※女子選手中第14位
生涯獲得賞金は、379,365,596円
2019年2月6日の第33回日刊ボート年間三賞表彰式では「特別賞」を受賞している。
地道に力をつけながら、気付けば、女子のトップレーサーに。
レーススタイルは完全な「さばき」タイプと言えよう。
差しハンドルと道中のさばきは、女子ボートレーサーでも屈指の実力と思う。
女子戦であれば常に舟券から外せない必須の選手なので、覚えておいて一切損はない。
目標としてデビュー当初掲げていた「SGレース出場」「女子の賞金1位」はすでに叶った。
あと叶っていない目標は、夏にある「G1レディースチャンピオンを勝つこと」だ。 -
松本晶恵競艇選手の仲間とプライベートについて
ボートレーサー松本晶恵競艇選手の98期同期
2006年5月デビューの、98期の同期には、鶴本崇文選手、松田祐季選手、平山智加選手らがいる。同期の女子4人いて、いっしょにディズニーシーに行ったり皆仲が良いそうだ。ボートレーサー松本晶恵競艇選手の師匠は加瀬智宏選手
ボートレーサー松本晶恵選手の師匠は、同じ群馬支部の大先輩・昭和のタレントたこ八郎に似てる、加瀬智宏選手だ。
松本晶恵選手は師匠のことを、
「見た目は怖いかもしれないけれど、すごく優しい方で楽しいです。本当にいい方なんです」と語っており、怒ることはないという。
そんな人柄の良い師匠に出会えたのも、松本晶恵選手が強くなれた持ち運なのかもしれない。ボートレーサー松本晶恵競艇選手のプライベート
オフの日は、読書、映画鑑賞、買い物が多いそうで、愛読書は東野圭吾。
ただレースが終わった次の日は、疲れて、ずっと寝ているという。
どちらかというと、インドア派だそうだが、皆でどこかに遊びにいったり旅行をするのも好きなんだとか。
他にはダイビングの免許も取ったそうだが、潜るたびに中耳炎になって向いていないと言う。
家では、黒柴のレン君が相棒とのことで、犬の散歩をしたり、あとは近くに住んでいる姉の子どもと遊んだりして、リフレッシュしているそうだ。
コロナ禍の過ごし方としては、Netflix (ネットフリックス) の韓国ドラマ(愛の不時着とか)にはまっているのだとか。
食べるのも大好きで、一度に大量に食べるタイプと言うよりもこまめによく食べるタイプみたいだ。
おすすめのカップ麺としては「一蘭」のカップ麺で、冷凍食品のご当地ラーメンを食べるのがマイブームらしい。
プライベートでは、同支部でプロペラグループも同じ今井裕梨選手(4240)と仲良くしてもらっているとか。
そんな松本晶恵選手の座右の銘は「努力はウソをつかない」と公言している。
真面目さが長所で、真面目に努力しているからこそ、結果が付いているのだろう。
日々ベスト体重を保つためにも、家では基本お菓子を食べず、朝・昼・夜3食きちんと食べ、宿舎ではローラー等を使って筋トレも行っている。
こういった小さなことからも常に努力は欠かさない。
松本晶恵選手のレースは本当に魅力あるし、差しハンドルの鋭さと的確さは女子の中でもトップレベルだ。
まだまだ期待しておきたい女子選手である。
関東女子のエース格・群馬支部の松本晶恵選手について
松本晶恵選手(マツモト アキエ)という女子競艇選手(女子ボートレーサー)は、2006年5月デビューの98期生、群馬支部の強い女子レーサーとして一目置かれている存在だ。デビュー前の訓練生時代は落ちこぼれだったが、着実に力を付け、今や関東女子のエース格にまで成長した。
そんな松本晶恵選手に迫る。
ボートレーサー松本晶恵選手の生い立ち
ボートレーサー松本晶恵選手の生まれは群馬県
松本晶恵選手は、1987年 6月3日に群馬県の前橋市に生まれた。松本晶恵選手の学生時代の部活は剣道部
松本晶恵選手は学生時代、剣道をやっていた。その腕前は「2段」という有段者とのことで、かなり高いレベルだ。
中学、高校と続けた剣道だが、特に中学の3年間は剣道漬けだったそう。
高校でも入った剣道部だが、高校は進学校で部員がわずか3人しかいなかったため、中学ほど真剣な部活動ができなかったそうだ。
高校時代は勉強も部活も中途半端だったと本人が振り返っているが、それでもしっかり剣道では2段を取ることができた。
改めて学生時代にしていた剣道を振り返り「剣道は、相手の動きを見て技を出すところとかはボートにも似てるかなぁ」と語っている。
きっと、今の松本晶恵選手が競艇で活躍できているのも、ここで身に付けた動体視力や、次の展開を読むというところが活きているのかもしれない。
松本晶恵選手の通学していた高校
松本晶恵選手の通っていた高校は、群馬県高崎市新保田中町(群馬県高崎市新保田中町184)にあった、群馬県立中央高等学校という学校だが、平成21年(2009年)3月31日に閉校している。現在は群馬県立中央中等教育学校となっている。
松本晶恵選手はボートレーサーの夢(試験合格)を高校時代に持ち、中途半端だった学生生活に終止符を打ち中退した。
11/14には「デイタイムコロガシ」というコースで、津7R(13.3倍)→津12R(21.0倍)と、2つともわずか4点で転がしを成功させ、16万 5900円の払い戻しとなった!
リアルタイムボートは有料コースの値段の安さが魅力的だ。最近減ったがリアルタイム予想も必見だ。