富樫麗加
(35) トガシ レイカ生年月日 | 1989/11/08 |
支部 | 東京 |
身長 | 163cm |
出身地 | 東京都 |
体重 | 56kg |
登録期 | 112期 |
血液型 | B型 |
級別 | B2級 |
富樫麗加の期別成績
2023/11/01-2024/04/30勝率 | 5.13 | 能力 | 50 |
優出 | 0回 | 優勝 | 0回 |
1着 | 12.5%(1回) | 2着 | 12.5%(1回) |
3着 | 25.0%(2回) | 4着 | 25.0%(2回) |
5着 | 12.5%(1回) | 6着 | 12.5%(1回) |
勝手に厳選、富樫麗加の情報サイト
富樫麗加の「本日」出場予定
- 出走の予定はありません
富樫麗加の出場予定
富樫麗加について
-
富樫麗加選手という、かわいい競艇選手(女子ボートレーサー)について
富樫麗加選手(とがし れいか)という、競艇選手(女子ボートレーサー)は、東京支部の112期の競艇選手(女子ボートレーサー)だ。 -
富樫麗加選手という、ギャル風競艇選手(女子ボートレーサー)の通った学校
「お嬢様レーサー」などと呼ばれてる富樫麗加選手なのだが、あながち間違いではない。 -
富樫麗加選手という、ギャル風競艇選手(女子ボートレーサー)の通った学校
調べたところ超スポーツやり込んでたとかでもないし、お嬢様が通うような大学を出ていた富樫麗加選手が、なんで競艇選手(女子ボートレーサー)を目指そうなんて思ったのか? -
富樫麗加選手という競艇選手(女子ボートレーサー)のデビューと初優勝
富樫麗加選手は、大卒後ボートレーサーになったので、112期の同期の中では最年長だ。 -
富樫麗加選手という競艇選手(女子ボートレーサー)のデビューと…
そんな生まれ、育ちも「関東」の富樫麗加選手は普段はもちろん、選手間(特に同期や期が近い選手)で遊ぶこともあるようだが、やっぱり地元の小学校や高校の時の友達と遊ぶことの方が多いそうだ。 -
富樫麗加選手という競艇選手(女子ボートレーサー)のフライデーされた件
ボートレーサーで唯一、フライデーに取り上げられたのが、富樫麗加選手だ。 -
富樫麗加選手の、何があったのかTwitter
…それより気になるのは「富樫麗加選手のTwitterの件」だ。 -
富樫麗加の180日 フライング休み
(追記:2019/01/28)
富樫麗加選手は見た目、けっこーギャルっぽいから、郊外の元ヤンキーかと思いきや、お嬢様学校として有名な白百合女子大学のご出身であるw
富樫麗加選手が通ってたのは「事実」で、在学中は白百合女子大学でフランス語を専攻していたというのだから面白い。
偏差値40-45の「白百合女子大学」は、「17世紀にフランスで誕生したシャルトル聖パウロ修道女会を設立母体としている」という少女マンガの設定のような学校で、多くの卒業生は銀行員や、CAとかになる人が多いようだが、富樫麗加選手は、白百合女子大学卒初のボートレーサーだ(笑)
白百合女子大学チャペル「シャルトル聖パウロ修道女会」では、クリスマスミサをするような大学だ。
まさか卒業して、真冬もオッサンに混じって競艇(ボートレース)やることになるとは、白百合に入学した頃は思いもよらなかっただろうw。
競馬と違い、競艇(ボートレース)じゃ外国人選手などいないから「フランス語」など永遠に使うこと無いだろうしね。
見た目のギャップと、更に卒業した大学とのギャップのある富樫麗加選手だが、出身が東京都の府中市出身だから、東京都調布市にある「白百合女子大学」への進学を選んだのかもしれない。
まぁ誰でも入れる大学じゃないし、学費だって安くない。
じゃあ、富樫麗加選手の高校はドコ通ってたのか。
高校時代は、府中の地元ヤンキーと夜な夜なゲーセン行ってたのか?…と思いきや、なんと小学校から高校まで女子一貫教育校の、東京都豊島区目白にある「川村学園」に通っていた。
ちなみに「川村学園」はアフタースクールで「茶道」とかあるような学校で、「男」を一切寄せ付けないお嬢様学校って感じだ。
富樫麗加選手も着ていたハズの「川村中学校・高等学校」の制服は、「川」の字を表すというセーラーカラーとカフスの3本ラインの入ったセーラー服。
↑富樫麗加選手の通った「お嬢様育成コース」
女子中、高校、大学、ずっと「女子校」って…富樫麗加選手は大切に育てられたんだなぁ〜
どんな家族で、何がキッカケで、競艇選手(ボートレーサー)になったのか?
次の項目に続くw
別に白百合大学在学中に親が破産して、中退してボートレーサーで生計を立てなければならなかったとか、そんな「昭和漫画」のような暑苦しいハナシではない。
「競艇」との出会いは偶然だった。
富樫麗加選手が 白百合女子大学の大学1年になってすぐの頃、たまたま通りかかった多摩川ボートレース場から聞こえた”爆音”に一瞬で魅了されたそうだ。
母親とサイクリングをしていたら、競艇場から「エンジン音」が聞こえてきて、その正体がボートレースだったという。
そこから富樫麗加選手は、競艇に惹かれ、1人で何回も何回も競艇場に通い詰めたそうで、レースを初めて観戦した瞬間に、「あ、これだ!」と運命を感じたそうだ。
…さて、ここまで読まれた方は富樫麗加選手の両親が、臭くて鼻毛の飛び出た男子など、富樫麗加女子の「視界」に一切入らぬよう、幼少期から「女子オンリー」の道を築き、手塩にかけて育てられてたのは十分にお分かりだろう。…となると当然のように、
大反対された。
富樫麗加選手の学歴から見ても裕福な過程で育ったっぽいし、富樫麗加選手は子供の頃から両親には物凄く厳しく育てられたそうで、夜 11時の門限を過ぎれば父親の鉄拳が飛ぶこともあったと言うから、きっと父親は「怒る」というより娘を守りたかったのだろう。
しかも当時の「見た目」は、コレだ。→めっちゃ真面目そう。
「大反対」したのも「悲願」に近かったのではないかと思う。
もしかすると「サイクリング」をして「キッカケ」を作ってしまった母親には本気で怒ったかもしれない。
(想像だけどw)
しかし、富樫麗加選手の決意は固かったようだ。
そこで富樫麗加選手は自分の意思を認めてもらう為に「ちゃんとした企業から内定貰ったら、ボートレーサー養成所(やまと学校)の試験に受けさせてもらう」と、なんとか両親と約束まではしてもらえた。
そして見事「大手金融企業」から内定を貰ったのだ。
普通なら、ボートレーサー養成所に入る試験に苦戦するところなのに、富樫麗加選手の場合、一番の難関は「両親の説得」だったようだ。
そしてまた更にカッコイイのが、
試験に1発合格したという所だ。
コレじゃ両親も「諦める」しかないだろう。
カッコイイ・・・。
これまでに原稿を書いてきた競艇女子選手は、平均的に2、3回は試験に落ちている。1発合格は極めて珍しい。…この「富樫麗加選手」や「山本宝姫選手」のように1発入学できた選手は、決まって「自分の意思」でブレずに競艇選手になろうとした選手だ。
なんせ富樫麗加選手の場合、多摩川も近いし時間がある時はいつも多摩川ボートレース場の、2マーク側でずっとレースを見ていたそうで、レース場に足を運ぶファンのおっちゃん達からは「何しに来たの?何見ているのー?」と、おっちゃん達の軽いナンパが始まったそうだ(笑)
富樫麗加選手の場合は「○○選手に憧れた」とか、親父がギャンブル狂で子供の頃から「競艇場」に連れて行かれたではなく、自分で舟券を買うことは一切なかったようで、競技そのものに惹かれて、自分もあそこでレースしたいと強く思ったそうだ。
とにかく競艇(ボートレース)というレース「そのもの」の迫力に純粋に魅了されたのだ。
こういう選手は個人的に応援したくなる。…では、次に富樫麗加選手のデビューと成績はいかがなものか。
富樫麗加選手のプロデビューは2013年5月19日で、富樫麗加選手が23歳の時だった。
当時の写真を見ると、金髪ではなく「真面目そう」「頭良さそう」って印象だ。
富樫麗加選手の出身が東京の府中市だから、配属はそのまま「東京支部」となった。
しばらくは師匠はいなかったようだが、今は同支部のA1級レーサー村田修次選手が正式に師匠になってくれたようで、落ち着いてて頭脳派レーサーって感じの村田修次選手につけたのは恵まれていると思う。
富樫麗加選手の初優勝は2017年5月23日。
↑下関の「2017男女W優勝戦」でデビュー初優出し、そのまま初優勝を飾った!→Youtube
しかも、6号艇で6コースから「差し」で優勝となり、まさかの1号艇だった田口節子が落水失格を喰らい、6コースから美味しく”差し”を決めた富樫麗加選手に「初優勝」が舞い降りた。
富樫麗加選手のファンですら買えていなかったであろう3連単のその時の配当は「209,950円 (116番人気)」、つまり2099.5倍の波乱の優勝戦だった。
だが、好調ペースもつかの間、フライング3本切ってしまい、2017年9月〜2018年2月まで半年間休みとなってしまう。フライング欠場と知らぬ人達の間ではネット上で「産休?」とかウワサがあがってたw
そのフライング休みの間、様々な場所で富樫麗加選手はトークショーなどのイベントに呼ばれ、それが収入源となっていたようだ。
少しギャル風でかわいくて、実はお嬢様なのに「競艇」への強い志を持った富樫麗加選手だからこそ、声がかかるのだろう。
今はもう復帰してるが、富樫麗加選手の成績の方は、少し前までの総合データだけど勝率「4.22」と、まだそこまで伸び切れていないのが「現実」だが、今や「江戸川フレッシュルーキー」にも選ばれ、伸びしろは十分だ。
真っすぐな性格やその可愛さから、レディースオールスターのファン投票でも2017年に「17位」に選ばれるなど注目を集めている。
同期男子にはG1でも活躍する、山田祐也選手、山崎郡選手などがおり、彼らにも負けないように今後も頑張っていってもらいたい。
なぜなら「本人曰く、お互いのことをよく知っていて、素のままでいられるから気楽」と答えている。
「デビュー後3年間はボートに集中。そしてその後は恋もしたい。」とコメントしたこともそうだし、驚かされたのが「デビューしてから1年ごとの計画(その後20年分)」を紙に書き出しているんだとか。
その内容は恥ずかしくて誰にも言えていないみたいだが、20年分細かく全部書いているそうだから、見た目とは違い、「真面目」で真っ直ぐな性格が伝わるエピソードだった。
フライデーに撮られた写真ってのは2017年6月8日、江戸川のG1戦の後に、相撲の番付は大関の「高安関」(同い年)とトークショーで共演して、その後G1戦の打ち上げで合流して、一緒ににご飯食べに行った、というだけの話。
その周りに同支部の先輩ら(石渡鉄兵選手、濱野谷憲吾選手)がいたのにも関わらず、その先輩選手の目には黒線が入って、富樫麗加選手だけが目隠し無しだったため、「デートした」みたいに取り上げられたそうだ。
ぶっちゃけ「フライデー」の記事としては、競艇(ボートレース)は誰もが見てるスポーツじゃないし、ましてや「高安関」も富樫麗加選手もそこまで知名度無いから、よほどページが余ってたのか?って思ったね。
実際は「デート」など全く関係なく、普通に「高安関」とは友達のようだから「つまらない」ネタだ。
元々富樫麗加選手はTwitterをしていたようで、2016年から続けてたTwitterには、7500人以上のフォロワーがいたそうだが、ある日突然「削除=やめた」らしい。
「今日もおけら」という管理人が更新してる「競の出来事」というブログに、そのことが書いてあるが、
その「2018年 7月24日」に更新された「ブログ記事」の下に「当ブログの記事で不快な思いをさせ申し訳ございません」と「今日もおけら」管理人が謝罪しており、同日の夜23:32に「これはあなたのせいでは? 私もあなたのを見て知ったのですから。」と批難しているようなコメントがあがっている。
ネット上では「なにがあったのか」何も情報が見つからないので、見当もつかないが、どうやら「今日もおけら」管理人の「競の出来事」というブログの記事が原因?で、コメントのある前日「2018年 7月23日」に富樫麗加選手がTwitterをやめてしまったらしい。
「競の出来事」の過去記事見直したが、特に富樫麗加選手について書いてるものは見つからなかったので、すでに消去してしまったのか?
…残念、富樫麗加選手が2年以上続けてたTwittetを見たかった。
↑Twitterをやめてしまうとか、よっぽど嫌なことあったのかもな。
年が明け、2019年前期分の成績に更新された。
原稿を書いた時は彼女は「B2級」という最低ランクに位置していたが、これは単純に「成績が悪かったから」という理由だけではなく、『半年の間でフライングを3本も切ってしまった』ことによる影響だった。(勿論、成績に影響する)
おかげで富樫麗加選手は2017年9月〜2018年2月までの間で、180日間のフライング休みを喰らい、その期間中の出走回数不足で最低ランクの「B2級」に陥落したのだった。
そしてようやく「B2級」から脱出することができて、年が明け、本来の実力である「A2級」に上がることが出来たのだ。
改めて富樫麗加選手の成績を見ると、フライングを3本切ってしまった期の勝率は「4.22」で、まあB級選手の平均ぐらいの勝率という感じだったのが、
フライング明けには、勝率は「5.48」と、「お!?」と思わず声を出してしまうほど、上がっている。
半年でこれだけ上がるのは結構凄い。
彼女と同じぐらいの年齢の競艇女子選手で、伸び悩んでいる人も多いのだが、一切それを感じさせないところは、富樫麗加選手の「負けん気」の強さからなのか、間違いなくこの「フライング休み」が精神的にも日和ることなく、確実に成長させたことが分かる数字だった。
とりあえず、強気なのはいいが、今期はフライング切らないようにしてもらいたい。
また振り出しに戻るからなー。
「競艇検証.com」では今後も富樫麗加競艇選手のイチファンとして応援を続けます!
富樫麗加競艇選手についてのプロフィールレポートなどは基本的に更新しませんが、もし富樫麗加競艇選手と写真を撮ったり、自慢ネタがあったら、公開するかも?しれません(笑)
11/14には「デイタイムコロガシ」というコースで、津7R(13.3倍)→津12R(21.0倍)と、2つともわずか4点で転がしを成功させ、16万 5900円の払い戻しとなった!
リアルタイムボートは有料コースの値段の安さが魅力的だ。最近減ったがリアルタイム予想も必見だ。