田口節子
(43) タグチ セツコ生年月日 | 1981/01/14 |
支部 | 岡山 |
身長 | 162cm |
出身地 | 岡山県 |
体重 | 45kg |
登録期 | 85期 |
血液型 | AB型 |
級別 | A1級 |
田口節子の期別成績
2023/11/01-2024/04/30勝率 | 6.97 | 能力 | 59 |
優出 | 5回 | 優勝 | 1回 |
1着 | 32.0%(39回) | 2着 | 21.3%(26回) |
3着 | 13.9%(17回) | 4着 | 14.8%(18回) |
5着 | 8.2%(10回) | 6着 | 9.0%(11回) |
勝手に厳選、田口節子の情報サイト
田口節子の「本日」出場予定
田口節子の出場予定
田口節子について
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田口節子という女子競艇選手(ボートレーサー)について
田口節子選手(タグチ セツコ)という、女子競艇選手(女子ボートレーサー)は、競艇界の中で「強い選手が最も集まっている期」として有名な1999年11月デビューの85期だ。 -
田口節子に影響を与えた強さ
レスリングの吉田沙保里選手に似ている田口節子選手は、岡山県岡山市で生まれ育った。 -
田口節子がボートレーサーになったキッカケ
小学校時代、田口節子選手はポートボール、中学校時代はバスケットボールを好んでやっていたそうで、ポートボールやバスケットボールで、大きな実績を残したという記載は見当たらなかったが、学生の頃から運動に関わってきたこともあり、基本的な運動能力が高かったようだ。 -
岡山支部の女子ボートレーサー達と、田口節子の弟子
田口節子選手が所属する岡山支部は、他の支部よりも女子レーサーが多く、寺田千恵選手が岡山女子のドン的な立ち位置で、田口節子選手とはちょうど20期違う。 -
田口節子の2019年までの実績
田口節子選手はデビュー後、わずか2節目に初勝利するなど、銀河系85期の女子としてデビュー当初から注目され、その期待にも応えてきた。 -
田口節子の特徴と2019年までの生涯獲得賞金
生涯獲得賞金は、少し前のデータにはなるが「467,321,774円」で、現役の女子選手の中では14番目になるが同じくらいの生涯獲得賞金の選手は皆、登録番号が3000番台のベテラン選手ばかりだ。 -
田口節子選手のプライベート
田口節子選手は、2014年12月に同支部同期の田中健太郎選手と結婚し、2015年5月に出産している。
この85期は数々のSG優勝者が存在するほどの強者揃いの期で「銀河系軍団」と呼ばれている。
「競艇選手のキャッチフレーズ(通り名)」でも紹介した井口佳典選手や湯川浩司選手、「競艇女子」でも既に書いているとても可愛い佐々木裕美選手なども「85期」で、女子のボートレーサーは2人しか残っていないが、岡山支部の田口節子選手は選手男子顔負けの旋回力が持ち味で、これまでの優勝回数は50回以上の、不動のA1選手である。
以前に「競艇女子」で記事を書いた、65期の寺田千恵選手と並んで、岡山支部を代表するボートレーサーなので、覚えておきたい。
田口節子選手には妹が2人いて、1人の妹はすでに解散してしまった「Oh My Darlin」や「ラズベリーパイ」などでも有名な「中ノ森BAND」というバンドの、ベース担当をしていたYUCCO(田口裕美子)だ。
田口節子選手の今があるのは、妹の田口裕美子さん(YUCCO)の影響が大きかったようだ。
妹の田口裕美子さん(YUCCO)は、過去に「再生不良性貧血」と「バセドウ病」で2度の入院をしたことがあり身体が弱かったそうで、そんな妹が単身上京し、アルバイトをしながら一人で夢に向って頑張っている姿に励まされて「自分はここまで来れた」と、過去のインタビューで語っている。
競艇でもバランス能力や運動能力はかなり必要となるので、子供の頃からスポーツをやってきたことは有利になる。
田口節子選手は、岡山県岡山市南区芳泉にある、偏差値65の岡山県立芳泉高等学校を卒業している。
…「みんなの高校情報」というサイトを運営している「株式会社イトクロ」は、上場会社だからしょうがないとも言えるが、競艇選手(ボートレーサー)界の女子レーサーでは代表格である「田口節子」の名前は「芳泉高等学校出身の有名人」の中に入れてもらいたいものだw
ボートレーサーになる「キッカケ」はありがちなもので、大の競艇ファンだった父親のすすめだったからだという。
高校在学中の17歳の時、父に「1回でいいから試験を受けてくれ」と言われ、当時は田口節子選手自身も特にやりたいこともなかったため、競艇ボートレースの試験を受けてみたという。
それまでは競艇のレースを見たこともなかったし、どんな世界かも知らなかったそうだが、何度も落ちてようやく受かったという選手が多い中、「言いなり」にやってみて1回で試験に合格するなんて凄すぎる。
流石「85期の銀河系軍団」だ。
その頃から競艇選手の才能はあったのかもしれないが、当時は厳しいと有名なボートレーサー養成所に入ってみたら、想像以上に苦痛で仕方なかったそうで、父を恨んだと後に本人が語っている。
それでも「仕事」と前向きに捉えて、ホームシックになった1年間の養成所生活は、母親や家族との手紙のやり取りで克服し無事に卒業したそうで、晴れて1999年11月に85期生としてデビューをした。
岡山支部所属の女子ボートレーサーの中でも、特に強いのは「競艇女子」でもい書いた寺田千恵選手、今回書いてる田口節子選手、守屋美穂選手の3人で、ほかには福島陽子や森岡真希、女子王座決定戦を制した事もある金田幸子などがいる。
若手には美人ボートレーサーとしても書いた土屋南選手や、安井瑞紀選手がいて、ますますこの支部の活躍が楽しみになってくるメンバーだ。
また、田口節子選手には同じ岡山支部で102期の樋口由加里選手と、支部は徳島なのだが出身が岡山で111期の赤井睦選手の2人を「弟子」として認めている。
2005年のG1女子王座決定戦では、デビューして6年にも満たない若手選手だったにもかかわらず1号艇で優出し、惜しくも優勝はならず、3着という成績だったが、女子のなかでトップの選手の仲間入りをしたレースだった。
その後、2007年頃から最高のグレードであるSGにも数多く出場し、そこで十分に技術面で鍛え上げることとなる。
その結果、大きな大会での優勝だと
《2011年3月6日》
三国「G1第24回女子王座決定戦」でG1優勝
《2012年3月4日》
多摩川「G1第25回女子王座決定戦」でG1優勝
…という、史上3人目の”女子王座2連覇”を成し遂げた。
特に2011年の方では女子王座の優勝だけにとどまらず、「SG福岡MB記念」で準優進出、「G1中国地区選」で優出3着と男子選手にも引けを取らない実力を証明し、同期の銀河系軍団の中でも、十分に誇れるような実績を上げ「ギャラクシークイーン」とまで、ファンの間でも呼ばれるようになったのである。
デビューから12年、意外にもG1初優勝には時間を要したが、2連覇は見事だ。
2014年7月には通算1000勝を達成した。
その勢いは増しており2019年3月の地元の児島「G2レディースオールスター」では準優勝で、この時の優勝は同じく地元の寺田千恵選手だった。
そして注目すべきは「24場制覇」まで”あと1場”というところにある。
残すは福岡競艇場なのだが、2019年7月には福岡競艇場で優勝戦まで勝ち駒を進めたが、惜しくも6着に敗れてしまい、優勝はまだだ。
なんと女子選手で24場制覇にリーチをかけているのは彼女一人で、もし福岡で勝てば女子初の全24場制覇という偉業となる。
つまり、田口節子選手はどこの競艇場でも戦える実力がある。ということでもあり、ここがファンへの信頼と「実績が凄い」ということに誰もが認めているところだろう。
田口節子選手の登録番号は4050であり、デビューしてから20年という年月は「競艇」ではまだまだ先は長い。
産休やけがによる長期離脱も含まれているので、その凄さが分かる。
ちなみに同期唯一の女子選手である佐々木裕美選手は「280,917,086円」とあり、佐々木裕美選手もA2級なので、決して弱い選手なわけではないのだが、同じ時期のデビューなのに約1.7倍儲けてるから驚かされる金額だ。
そんな選手としての目標は「一節一節を濃く過ごすこと」だと言う。
だが、離婚してしまった。
離婚は田口節子選手から申し出たそうで、婚のキッカケは、夫の田中健太郎選手が2015年12月、コンビニに駐輪してあった女性会社員の自転車の前籠から、買ったばかりの女性用長袖シャツを盗んだことで逮捕されたのが原因だそうだ。
田中健太郎選手は逮捕された時、酒に酔っていたという。
酒に酔ってたなら、下着を盗んだ区分けじゃないし許せよ。とも思うのだが、この逮捕報道があってから、成績不振や信用問題などもあり、離婚に至ったそうだ。
酷な言い方で悪いが、田中健太郎選手は「銀河系軍団の落ちこぼれ」と言うレッテルが貼られており、ソレに対して元妻・田口節子選手はG1で2回も優勝していて年収が違いすぎる。
子供の親権は当然、田口節子選手にあり、休みの日には家でゆっくりしたり、子育てしたり。
趣味はゴルフのほかに、料理教室に行ってパンを作ったり。だそうだ。
元夫・田中健太郎選手は酒で失敗したタチだが、元妻のお酒も田口節子選手も結構飲むようで、レース後にはビール3〜4杯は飲んでるそうだ。基本はビールしか飲まないそうだから、3〜4杯なら普通かw
そんな田口節子選手は実績多数で、仕事も大好き?なのかと思いきや、実はあまりボートが好きではないのだとか(笑)
常に「好きになりたい」という気持ちで走っているそうだが、まだまだなようで「引退までに好きになれたら」と語っている程だ。そんな心構えでもこれだけの成績を残し、元夫をゆうに超えているのだから完全に「仕事」として捉えているそうだ。
性格は負けず嫌いで、「優勝した時の達成感がやりがい」とも語っている。
2011年に初めてG1優勝した時のあの涙は、大きな達成感と、喜び、感謝から来る深い涙であったと思う。
「競艇検証.com」では田口節子競艇選手についてのプロフィールレポートなどは基本的に更新しませんが、今後も田口節子競艇選手(女子ボートレーサー)の田口節子競艇選手のイチファンとして応援を続けます!
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